
「損益分岐点」と聞いた瞬間、思考停止していませんか?
「損益分岐点」
この言葉を聞いたとき、
多くの社長の頭の中には、こんなイメージが浮かびます。
- 難しそう
- 会計の話
- 税理士が使う言葉
- 自分には関係なさそう
そして、心の中でこうつぶやきます。
「まあ、黒字ならいいか」
実はここに、
利益が残らない会社の共通点があります。
今日はまず、はっきり言います。
損益分岐点は、数字の話ではありません。
これは“社長の意思決定の話”です。
そもそも、なぜ損益分岐点が誤解されるのか
損益分岐点という言葉が
嫌われがちな理由は、とてもシンプルです。
- 計算式から説明される
- グラフが出てくる
- 数字が並ぶ
つまり、
「理解する前に、拒否反応が出る」
構造になっているのです。
でも実際の損益分岐点は、
もっと人間くさいものです。
損益分岐点を一言で言うと何か?
難しい説明は一切しません。
損益分岐点とは、
このラインを超えないと、
どれだけ頑張っても利益が残らない境目
ただそれだけです。
言い換えると、
- この売上までは「耐えている状態」
- ここを超えて初めて「報われ始める」
という分かれ道です。
ケーススタディ①|忙しいのに、ずっと楽にならない社長
サービス業A社。
- 売上は右肩上がり
- 仕事は増えている
- 社員も頑張っている
それなのに社長は、
全然、楽にならないんですよね…
という状態。
よく話を聞くと、
- 売上目標はある
- 利益目標はない
- 損益分岐点を知らない
という状況でした。
つまり、
どこからが“勝ち”なのかを
誰も知らないまま走っていた
のです。
黒字なのに苦しい会社、赤字なのに回る会社
ここで、少し意地悪な話をします。
- 黒字なのに、社長が疲弊している会社
- 赤字なのに、なぜか持ちこたえている会社
この違いは何でしょうか。
答えは、
分岐点を理解しているかどうか
です。
損益分岐点を理解している会社は、
- 今は耐える時期
- ここを超えたら楽になる
という見通しを持っています。
一方、知らない会社は、
- ずっと全力
- ずっと不安
- ずっと我慢
になります。
損益分岐点は「感情」に直結している
ここが、今日一番伝えたいポイントです。
損益分岐点は、
- 社長の安心感
- 判断スピード
- 覚悟の度合い
に、直結します。
なぜなら、
「あとどれくらい頑張ればいいか」
が分かるからです。
ゴールの見えないマラソンほど、
しんどいものはありません。
ケーススタディ②|分岐点を知った瞬間、判断が変わった社長
製造業B社。
これまでの判断基準は、
- 忙しいかどうか
- 売上が増えそうか
- 断りにくいかどうか
でした。
損益分岐点を一緒に整理したところ、
「この仕事、
やっても分岐点を超えないですね」
という言葉が、
社長の口から自然に出てきました。
それ以降、
- 受ける仕事
- 断る仕事
- 人を増やす判断
が、驚くほどシンプルになりました。
よくある誤解①|損益分岐点は「一度出せば終わり」
これは大きな誤解です。
損益分岐点は、
- 固定費が変われば動く
- 粗利率が変われば動く
- 事業構造が変われば動く
生き物です。
つまり、
定期的に見直す
= 会社の体調チェック
なのです。
よくある誤解②|売上目標があれば十分
売上目標だけを追うと、
こうなります。
- 達成したのに苦しい
- 未達なのに忙しい
- 判断基準がブレる
なぜなら、
「その売上が、
分岐点を超えているか」が
抜け落ちている
からです。
売上目標の前に、
必ず確認すべきなのは、
「その売上は、
どのゾーンにあるのか?」
という視点です。
損益分岐点は「経営の信号機」
損益分岐点を、
信号機に例えてみましょう。
- 赤:分岐点未満(耐えるゾーン)
- 黄:分岐点付近(要注意ゾーン)
- 青:分岐点超え(利益が残り始める)
今、自社はどこにいるのか。
これが分かるだけで、
- アクセルを踏むか
- ブレーキを踏むか
- じっと待つか
判断できるようになります。
数字が苦手でも、ここだけは押さえてほしい
ここまで読んで、
やっぱり数字の話ですよね…
と思った方、大丈夫です。
今日、覚えてほしいのは
たった一つだけ。
損益分岐点とは、
社長が“覚悟を決めるライン”である
ということ。
細かい計算は、
後回しで構いません。
次回予告|分岐点を超えない「3つの落とし穴」
次回は、
- なぜ頑張っても超えないのか
- なぜ売上を増やしても楽にならないのか
その理由を、
分岐点を超えられない会社の
3つの共通パターン
として解説します。
今日の話が腹落ちしていないと、
次回もただの知識で終わります。
ぜひ一度、
うちは、
どこからが勝ちなんだろう?
と、自分に問いかけてみてください。
今日の一言
損益分岐点とは、
会社が“報われ始める境目”である。
